建て主に育てられてプロローグ

小手川邸は、あれから三十五年以上たったいまも、臼杵の町、あの丘の上に建っている。いまは、代替わりされ、あの頃まだ小さかった、小手川氏の三男であるご子息がお住まいになっている。私は、この被災の経験から、神経質なほど構造や施工にうるさくなった。あの、怯える子供たちの顔が忘れられないからだ。私の設計する家で、もう二度と、誰にもあんな思いは味わわせたくなおもいい。それが私の住宅建築家としての覚悟であり、住まいへの情念の原点となっている。■建て主に育てられてプロローグでは、建築家の卵としての私の覚悟や住まいへの情念の原点となった、初めての住宅設計のエピソードを述べた。読者のみなさんは、小手川邸再建が終わると、私がすごすごと荷物をまとめて東京に戻り、再び臼杵の地を踏まなかったと思うだろう。家の構造を補強し、裂けた柱を新しく立て直し、梁を固定し、その上に、風雨に耐える工夫を施した屋根を載せ、内装をやり直しているあいだじゅう、私はずっとそう思っていた。臼杵の人々は、二度と私を建築家として認めてくれないだろう。大学を卒業し、将来、東京で建築家として名を馳せたとしても、決して許してはもらえない。それでも、せめてこの一軒の家だけは責任を持って修復していこう。それだけを思って、日々の作業に追われた。ところが、日を重ねるにしたがって、町の人々の態度が変わっていったのである。ちょっとした買い物に出ても、「あの丘の上の家はどうなった?」「作業は進んでいる?」「毎日がんぱつちよる」と、声をかけてもらえるようになった。

コメントをどうぞ